My perspective

厚狭のまち、感じるままに写真とつぶやきで綴ります。

歴史遺産


ちょっと前に、地域のfacebook 「なにげにいいとこー山陽小野田市」 に有帆川に架かる

小野田橋の街灯の事が投稿されていた。

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                                                                          2012.10 撮影
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今、美祢が熱い!!

長州美祢 維新の光
「来嶋又兵衛と禁門の変」、「来嶋又兵衛と禁門の変の真相」と題して講演会
そして、「美祢から発信 美祢ブランドを創る」と題してシンポジュウムを開催。
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いやぁ~、最近の美祢は凄いですねぇ「大田・絵堂行軍」といい
今回の「来嶋又兵衛と禁門の変」講演会といい、美祢は熱いなぁ
それに引き替え、来嶋又兵衛の生誕地である山陽小野田は何か
考えとるん?
住民の皆さんは熱くならないのでしょうか?
観光協会、観光課のみなさんはどうなんでしょう?講演聞きに行かれてみては?
小野田は来嶋又兵衛ともう一人、前原一誠も係わりのある場所です。
山陽小野田はもっとこう言うことをアピールしてもいいのではないでしょうか
そしてもう一人、禁門の変で戦死した長州藩士、厚狭赤川の岡崎熊吉も
忘れてはならない一人でしょう。

来嶋又兵衛は前回このブログで取り上げたので、次回は前原一誠と岡崎熊吉の事を少し。

それにしても美祢はすごい、歴史に興味のある方は是非 講演を聞きに行かれてはどうでしょう。
2015年7月18日(土) 美祢市民会館大ホール 13:00~16:30
入場無料ですが事前に申し込みが必要のようです

長州美祢 維新の光HP→http://mineishin.com/

漫画家の苑場 凌(そのば りょう)さんは「あずさ弓の如く・飯沼貞吉物語」の著者でもあります。
飯沼貞吉:飯盛山で自刀し唯一生き残った白虎隊士、長州藩士の楢崎頼三が連れて帰り
美祢小杉で養育したとされる実在の人物。



大河ドラマ


1月も半ばを過ぎました、今年 最初のブログアップです
遅れ馳せながら、本年も宜しくお願いいたします。

さて、NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」も2回目も終わり、いよいよ3回目の放送となります
この「花燃ゆ」、山陽小野田出身の長州藩士が登場するのは地元の方はご存知でしょうか
その名も、来嶋又兵衛政久 地元の皆さんは今回の「花燃ゆ」は見逃せませんね。
ドラマの中で「来嶋又兵衛」演じるのは山口県出身の俳優 山下真司さんですよ。


来嶋又兵衛 (尊王攘夷派。遊撃隊総督。幼名は亀之進)
文化14年(1817年)1月8日、長門国厚狭郡西高泊村高須(現山陽小野田市西高泊高須)
無給通組の下士・喜多村政倫の次男として誕生。天保7年(1836年)、大津郡俵山村の
大組(八組)の上士・来嶋又兵衛政常の婿養子となる。天保12年(1841年)、柳川藩の
大石神影流の創始者大石進に剣術を学び、弘化3年(1846年)、江戸に出て剣術修行に
励み、武芸の達人となる。

嘉永元年(1848年)に帰国、家督を継ぐ。同年10月に手廻組に入隊。その後、藩世子の
駕籠奉行など藩の要職を歴任。嘉永2年、養父の政常が病死したため、来嶋家累代の名前を
継承し、来嶋又兵衛政久と改名した。

元治元年(1864年)7月19日、蛤御門の戦い(禁門の変)で薩摩藩士の銃撃隊、川路利良の
狙撃で又兵衛は胸を撃ち抜かれた。助からないと悟った又兵衛は、甥の喜多村武七に介錯を
命じ自ら槍で自刃、時に48歳。首級は武七が家郷に持ち帰り、胴体は力士隊の菊が浜(実名
片山常吉・美祢郡真長田出身)が天龍寺に運び境内に埋めた、後年嗣子清蔵(亀之進)がこれ
を発掘し、京都東山の麗霊山に移し、鎧、扇、太刀を収めて遺品として家に留めた。また後程
峨嵋山(山口県光市室積)に改葬した。


来嶋又兵衛を狙撃した薩摩藩士、川路利良は明治7年(1874年)警視庁創設に伴い初代
大警視(今で言う警視総監)に就任している。



参考文献

三原清堯「来嶋又兵衛傳」(復刻版) 小野田市歴史民俗資料館 平成4年
開館10周年特別企画展 遊撃軍総督 来嶋又兵衛とその周辺 小野田市歴史民俗資料館 平成4年
ウィキペディア(Wikipedia)


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親柱


ある日、厚狭天満宮奥にあった旧鴨橋の親柱が無くなってるのに気が付いた。
そこにあったのは千町側の親柱だが、鴨橋解体で本町側の親柱も何処に持って
行かれたのかわからず少々気になっていた。

山陽総合事務所に行き聞いてみたがわからず、県の宇部土木建築事務所に
問い合わせてくれた、厚狭図書館の隣の駐車場の一角に置いてあると言う
市がここにと指定らしい。

以前、関係者に聞いた話では、旧鴨橋の親柱は新しい鴨橋の親橋として
使用すると言っていたし、新聞でもそう記事に書いあった・・・が
どうも、そうでもないらしい
今の建築法とやらでは、旧の親柱は使えないらしいことがわかった。
少々残念な気もするがこれはしかたないだろう。

しかし、宇部土木建築事務所の話では鴨橋完成後、千町側の橋の袂の一角に
この旧鴨橋の親柱を保存したい、という計画があるようです
実現に向けて頑張らねば、住民の力で。

しかし、残念なことに今の保管の仕方が気に入らないのですが
保管と言うより野ざらしですね。
せめて屋根があるところにでも置いてほしかったですね
まぁ、石だからどうってことないかもしれませんが
厚狭の町の歴史遺産です、大事に扱ってほしいものです。

こんな置き方して何も感じないのでしょうか、これだから「山下記念厚狭図書館」
「殿町児童公園のD51300」  「ねたろう公園の千石船」 があの状態になるわけですよ
少し意識改革が必要のようですね



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「人としての途を行く」


山陽小野田市厚狭鴨ノ庄(旧山陽町)出身 細迫兼光氏の回想録 「人としての途を行く」 が
この程、(株)南の風社より出版された。

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読んでるうち、細迫邸を撮っておきたいと言う気持ちが強くなり
本を握りしめカメラを積み、鴨ノ庄の兼光邸に向かいました。

この写真は兼光邸門前の敷石に置き撮影したものです
読んでる時になぜか兼光邸をバックにして、この回想録を撮りたくなりました。
そして、細迫本家も撮っておかなければと・・・。
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